店主 香山裕のおもい

好きな言葉

温故知新

イノベーションとリノベーション

趣味

カラオケ

食べ歩き

好きなもの

漫画「幽遊白書」 

映画「ダイハード」

尊敬する人

天皇陛下

黒柳徹子

私、香山裕が独立するまで
神戸で生まれて

昭和59年生まれ A型乙女座です。

兵庫県は神戸の西舞子という土地に生まれました。

瀬戸内海が望める高台のマンションに住んでおりました。

当時はまだ本州と四国を結ぶ瀬戸大橋が掛かっておらず、日中は貨物船が往来していた風景を覚えています。

幼少期は3歳年上の兄の腰巾着の様に付いてビックリマンシールを集めたり牛乳キャップを集めたりしていました。

小学生に上がるタイミングで同県の三田市という所に家族が引っ越すことになり、高校生まではその土地で過ごすことになりました。

丹波、篠山から近く山に囲まれた、のどかな盆地でした。

今考えると、神戸の海の幸、丹波篠山の山の幸、但馬牛、山田錦の地酒など食に恵まれていた地域に住んでいて、大人になるまで居たら、美味しい物がいっぱい飲み食い出来たのかぁと思うとちょっと悔しいですね。

神奈川に来て

高校1年の途中、家族が残念ながら別々に暮らすこととなり、母親の実家の近く神奈川の海老名市という所に移り住むことになりました。

父親、兄も居なくなり母と6歳下の妹の3人で暮らして行くことになりました。

勉強があまり出来なかった私は兵庫の普通高校にある農業科に入学しており、転校する場合も農業系の高校にしか入ることが出来なかったので同市にある中央農業高校という学校に入ることになりました。

そこでは本気で農業に興味のある後継者や庭師を目指して仕事関連免許を取る人など、勉強が出来なくて仕方なく農業科に行った私と他の同級生とのギャップがかなりありました。生活のためにアルバイトばかりしていましたが、今考えるともう少し学校の方も真面目にやっておけば良かったなと思います。

料理人を目指して

そして進路を決める時期になり、当時ビビンバの専門店でアルバイトをしており、楽しんで働いていたこともあり、調理師の専門学校に行く事になりました。

調理師学校は中野の学校で遠かったため、浜田山のお魚屋さんで1年間住み込みでアルバイトしながら通う学生生活でした。

当たり前のことですが、魚屋は朝が早くて最初は慣れるのにたいへんで、学校の調理実習では包丁を持ちながら居眠りしかけるという、とんでもないこともありました。

しかし、その一方で、毎日市場で様々な魚と遭遇してその特徴を覚えることが出来、また、新鮮な魚とそうでない魚の見分け方もわかるようになり、さらには美味い魚とそうでない魚の違いを一目見ただけでわかるようになったことを実感出来た時には本当にうれしく思い今も忘れられません。

就活時期になり、魚が心底好きになっていた私はぜひ和食を勉強したいと思い、六本木の会席料理屋で修行することになりました。

それからはプリンスホテル、雅叙園、第一生命の接待施設である懐石料理屋などで働かせてもらいました。

どの店も地位の高い方ばかりで舌が肥えておられるお客様がほとんど。

当然ながら調理については些細なミスも許されず、超厳しい上司・先輩ばかりで毎日が緊張の連続でした。

しかし、心構えも調理技術もかなり高度なところを繰り返しタタキ込まれたことは、今となっては貴重な財産となっていますので、先輩諸氏には感謝しかありません。

さらなる進化を目指して

しかし、若干の不満もありました。それはお客様との距離が遠かったことです。

当たり前のことですが「高級感」で売ってる店においては、料理人がお客様の前に出ることはまずありません。

時々スタッフから「さっきのお客様、かなり喜んでおられたよ」「今日の〇〇の料理、すごい!とびっくりされてたよ」ということを聞いてうれしく思うことはあったのですが、直接お客様から言われることはあり得ないのです。

「高級店・一流店とはそういうものなのだ」と自分に言い聞かせて何年もやっていたのですが「直接お客様の顔を見ながら作って、召し上がった際のお顔も見ながら、食後の感想をぜひ聞きたい」という思いは日に日に強くなってきました。


いくら自分の腕が上がったと言っても、多分お褒めの言葉ばかりではないだろう、お叱りを受ける時は受けて、その声をもとにより自分の料理を進化させていきたい、という思いが日ましに強くなってきたのです。

そんなことで、いわゆる「大衆店」と言われるお客様の声が直接聞ける店、ということで恵比寿の小籠包屋さんの店員兼料理長、大門の焼鳥ふくながといったお店で勉強させてもらいました。

そして、こういった「地域密着の小さい大衆店」でお客さんと近い距離で料理をつくる、これこそが一番自分がやりたかったことだ、と確信したのでした。

独立を決意

そんなことでその後も勤務の料理人としてやってきたのですが「自分が大将になって思い通りの店にしたい」という気持ちが強くなり、ついに独立を決意しました。

店の場所は、数年前から気に入っており住まいも移した亀戸周辺でやりたい、と思っていましたが、ある時自分のイメージ通りの空物件が見つかったので即決めました。

店の名前は、母親の旧姓が梅田なので、今まで育ててもらった苦労に感謝と恩返しの意味合いで「梅田屋」という屋号に迷わず決めました。

私自身が兵庫の出身ですので、食材は兵庫の物を多く取り揃えております。

特に魚は、全国津々浦々、勤務時代の休日に足を運んで何百種類と食べてきましたが、瀬戸内海の魚が一番美味かったので、毎日瀬戸内海の漁港から直送してもらえる体制を整えました。

お品書きは季節によって変えていきますが、もし「ぜひこれを食べたい!」というものがあれば遠慮なく言ってください。

極力その食材を用意し「これは美味い!」と言っていただけるような料理をつくるべく全力を尽くします。

美味い酒、美味い魚、美味い野菜にこだわって亀戸で頑張っていきたいと思います。

皆様のご来店をお待ちしております。